冬至を過ぎて。
冬至は1年の中で最も陰が極まる時。
日の出から日没の時間が一番短い時。
真っ暗な闇に光が差し込む、夜明けの時です。
強制的に休めの指令が下った時
目一杯頑張ることが日常だった頃は、陽のヨガばかりを無意識に選択していて、
緊張しがちな体に、より緊張を与えて、
何の恐怖かわからないけど、リラックスすることを避けていました。
休むことが怖かったんですね。
20代は「止まる」ということを知らないくらい仕事をしていたわたしが、
陽が極まりきったように交通事故に遭いました。
強制的に「休め」
の指令が天から降ったのだと感じ、
ひたすら何もしない2年〜3年を過ごしました。
その2年はそれまで働きすぎていた10年分を取り返すかのように
とにかく休んで、何もしないで、たくさんたくさん寝ました。
そのあと、喪が明けたように
沖縄でスローライフを始めた時、周りはものすごくビックリしていました。
陽が極まると陰に転じる
陰が極まると陽に転じる
前者が夏至で後者が冬至のエネルギーですね。
私は両方極端なものを経験してみたせいか、
今はそのどちらもがバランスよく自分の中にあるのを感じます。
そして自分がどのバランスでいると心地よいのかを知りました。
陰と陽という言葉はよく聞くけれど、
大切なことはそれが私たちの生活とどう繋がっているのかということ。
「陰」には、
女、影、月、受け入れる、受容する、緩める、曲線的、柔らかさ、優しさ
「陽」には、
男、光、太陽、収縮させる、縮める、緊張する、直線的、強さ、リーダーシップ、決断力
といった意味があります。
全てのものは陰と陽を背中合わせに抱えており、
二つを中和させる“気”によって調和を保っています。
ニュートラルとは何か
よく、「ニュートラル」という言葉を使うけれど、実はその言葉はとても曖昧なもの。
なぜならその「ニュートラル」は人によって全く違うから。
生まれ持って反り腰気味な姿勢がニュートラルな人もいるし
生まれ持って腰が丸い姿勢がニュートラルな人もいる
生まれもって陰の性質が強い人もいれば、
陽の性質が強い人もいます。
ピラティスでも、ニュートラルという言葉を使いますが、
それは、反り腰の方へも丸腰の方へもどちらにも動くことができる、
「真ん中」の位置で安定していることを意味します。
固定ではなくて、ですね。
アストロマップでもそうなんだけど、
(参考▷人生を動かす!アストロマップの活用法)
「同じエネルギーは引き合う」
法則というのがあって
陽が強すぎる時と言うのは、
なかなか必要なエッセンスである陰の類ものを選ぶことができない。
逆も然り。
それが絶対に自分の中に必要なんだけど、
自分の中になさすぎて、違和感になるから、
選べない上に、取り入れてもすぐにやめてしまう。
わたしがガンガン仕事をしていた頃は、
陰ヨガや、リストラティブヨガには全く興味がもてなかった。
アシュタンガまではやらなかったけど、
ハタヨガやヴィンヤサヨガ、筋肉をガンガン使うタイプのものばかりをやっていました。
(アシュタンガヨガは男性性の強いヨガです)
陽が強いくせに、さらにヨガでも陽にして。。。
今思い返すと、当時のわたしの体はいつも緊張していてガチガチで
変な強さはあったけれど、
それはしなやかではない強さで、
何かあるとすぐにポキっと折れてしまいそうなものでした。
そして、圧倒的に受容する力は足りなかった。
呼吸は浅くて早く、胸郭や胸椎がうまく使えないことが悩みでした。
ここ2、3年の極端な陰の生活を終えてから
自分の呼吸が一変していることに気づきました。
今までになかった
ゆったり、深い呼吸。
胸椎や胸郭がきちんと動く。
自然に骨盤底筋や横隔膜がコントロールできている。
胸椎の動きが悪くて絶対にできなかったアーサナが、
ストイックに練習したわけでもないのに、
いつの間にかできるようになっている。
「休むこと」「緩めること」がわたしとって必要なことだったんですね。
ヨガのできないポーズをできるようになるには、
自分の中に、絶対にありえない!と思うことを取り入れてみて
自分の枠を広げていくこと。
昔は違和感がありすぎて全くできなかった
陰ヨガやリストラティブヨガなどの体をゆるめる方のヨガも、
バランス良く日常に取り入れることができるようになりました。
新たな道を切り開いていこうとする時というのは
自分の中にないエッセンスを取り入れるといい。
客観的に自分を観察して
自分に足りないものを選択し、
素直に受け入れることができる力。
情報があふれ、
何を選択して良いのか迷うくらいな今の時代に一番大切なものは、
そんな力なのではないかな、と思います。
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